無口になるのが無価値な理由

私は以前、無口のほうが価値があると思っていました。

 

余計なことを言うと、価値が下がったりすることもありますし、

 

無口になるとかっこいいと思っていたからです。

 

 

また、いろいろ考えてしゃべるのはめんどくさいので、

 

ついつい無口になって、あまりしゃべれなかった場合は、

 

無口のほうがかっこいいと言って、

 

つい自分で自分を正当化してしまうわけです。

 

 

しかしながら、無口というのは、

 

基本的には、価値がないと思ったほうがいいです。

 

 

その理由としては、無口の人はおもしろくありませんし、

 

人から見ると、味のない白ご飯だけを食べるようなものだからです。

 

 

白ご飯は、おかずがあったほうがおいしいのですが、

 

わざわざ白ご飯だけを出すようなものになってしまうからです。

 

 

また、しゃべる行為というのは、

 

情報や楽しさなど、何かしらの価値を持つものですので、

 

その総量があったほうが、価値の高い人と位置付けられるからです。

 

 

しゃべる量を多くするためには、

 

それだけ頭を使って回転させないといけませんので、

 

それだけ手間がかかっているとも言えるからです。

 

 

家具のもようや、服のもようがたくさんあるものは、

 

高い値段がついていることからみても、

 

手間がかかっているもののほうが、価値が高いと

 

無意識に判断されるということになります。

 

 

そのためもし、今まで無口になっていた人は、

 

あまり、無口を肯定しないほうがいいです。

 

 

むしろ、無口だと白ご飯もしくは、安い服を提供しているようなもので、

 

情報量から見ても、価値の全体量からして少ないからです。

 

 

しゃべる内容によっては、価値を落とすこともありますが、

 

しゃべることによって、価値を下げない会話というものも

 

身に付いてきたりしますので、結局はよくしゃべる人の方が、

 

価値が高まる可能性が高いということになります。

 

 

毎日白ご飯を食べて、

 

安い家具だけで過ごすと、物足りなく感じる事がありますが、

 

会話においては、白ご飯や安い家具と同じようなことになっていることもありますので、

 

ついつい無口になってしまいがちな人は、

 

くれぐれも気をつけたほうがいいですね。

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